1.三国志の裏切り者決定戦!
上司に対して謀反の1つや2つは企てるのが紳士淑女の本懐。コトが露見して首級を上げられないのが惜しまれる太平の世の中だが、なんといっても裏切り者こそ「三国志」の華だろう。
劉備、関羽、張飛たちの桃園の誓いも、容赦なく主君を取っ替える浮気性の狼が一山いくらで売るほどいたから、「珍品」として光っているのだ。
裏切り、とひと口に言うのはたやすいが、人生においてメガトン級の「その時」だけに、本人の性格が色濃く反映される。ざっと分類して、
① 行き当たりばったり型
② プライド過剰型
③ 転職上手型……
と分けてみたものの、何のことはない「呂布」タイプ、「魏延」タイプ、そして「孟逹」タイプと男らしく言ったほうがわかりやすい?
方天画戟を振るう三国一の暴れ者、呂布の生涯は裏切りのクシ団子だ。振り出しは、位人臣を極めた董卓が、時の皇帝・少帝を廃そうとしたことに、刺史の丁原が反対した事件。そこで呂布に赤兎馬を贈ったら、すぐさまオヤジの首をみやげに到着!
その後の流転ぶりは、まさに「三国志」前半のトリックスターらしい出鱈目さだ。王允の「連環の計」にまんまと引っかかり、美女の貂蝉を奪い合って義父(2号)の董卓を一刀両断。考えもなしに天下が転がり込んだものの、わずか60日で董卓の残党に追い出され、袁術を頼ったが門前払い。
せっかく迎え入れてくれた劉備に対しても、曹豹にそそのかされてまた裏切り。しまいには、呂布憎しで手を結んだ曹操・劉備連合軍に捕らえられて、スリーストライクアウト。
次にひかえる魏延の「裏切り」は、ひたすらストイック。
裏切り初体験も、襄陽に領民を引き連れてきた劉備一行を城内に入れようと、荊州の兵を斬り殺してまで門を開いた、というもの。文聰と激しくもみ合った末に長沙に落ち延びたが、ここでもプライドの高い性格が災いして、上司の韓玄と険悪な仲に。
幸い関羽が長沙を攻めた際に、韓玄の首を叩き斬り、ようやく恋も慕う劉備の摩下にはせ参じ……と思えば、孔明が「反骨の相がある」と、人相が悪いというだけで処刑寸前。
孔明が死んで、その跡を継いだ楊儀とは、会うたびにケンカする相性の悪さ。自分だけを残してさっさと撤退したライバルに反逆したが、多勢に無勢。敗走して漢中に入るや、馬岱に斬り殺されて無念の最期を遂げた。
3番目の孟逹になると、前の血気盛んな2人と比べて、裏切りぶりが非常に計算高い。初めは劉璋に仕えたが、君主に先がないと見限って、法正や張松らと語らって、益州に劉備を招き入れる。
そんな彼が、後世に残る汚名を着せられたのは「関羽見殺し」のせいにほかならない。援軍を求める関羽を無視し、自分自身はあっさり魏に降った。曹操の跡を継いだ曹丕に気に入られたが、曹丕の死後は地位が危うくなり、再び古巣の蜀へとくら替えしようとする悪らつさ。あいにく、鬼才・司馬いに見破られ、首は洛陽の大路で焼かれる悲惨な末路となった。
2.さて、裏切り王はどいつだ?
それは劉備玄徳その人だ。曹操の攻勢にさらされたときも、呂布の蛮行が煙幕になってくれたし、荊州を手中にできたのも、魏延や孟逹らの裏切りあればこそだ。
劉備の拠点は、元は恩人の領地ばかり。隠されたモットーは「ひさしを借りて母屋を乗っ取る」だったんじゃないか? そういう狡っからさを隠し、「仁義の人」として一生をまっとうした蜀王こそ、スケールの巨大な悪人に決定!と思うのだ。
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