貂蝉は王允の連関の計で呂布と董卓の仲を悪くなるように仕向けた

王允に仕えていた美貌の芸妓
貂蝉は、後漢で司徒を務めていた王允に仕える、歌妓のうちのひとりである。

宮廷に仕える高官たちには、屋敷に専属の舞妓や歌妓を置く習慣があったようで、演義の中でもたびたび歌や舞を披露させて、客人をもてなす様子が描かれている。当時において、こうして客人をもてなすことがステータスだったのだろう。

幼い頃に選ばれて王允の家に入った貂蝉は、歌や舞を仕込まれて育った。器量も芸技も群を抜いて優れていたため、王允は貂蝉を娘のようにかわいがっていたという。

あるとき、王允が「董卓」の暴虐ぶりを思って嘆いていると、心配した貂蝉が「旦那さまのお役に立ちたい」と申し出た。この瞬間、王允の脳裏にある計略がひらめいたのである。

それは、好色であるとうたくと「呂布」の間に貂蝉を送り込んで「連関の計」をしかけ、護術役である呂布の手によって董卓を討たせようというものであった。


董卓と呂布の間で策略を練る
計略を巡らした王允は、呂布を自宅に招いてもてなしながら貂蝉を紹介し、呂布の側室にしてほしいと申し出た。

呂布は貂蝉の美貌に目がくらみ、貂蝉もまた呂布に気がある風を装ったため、呂布は大喜びしながら帰っていった。

後日、宮中へ出向いた王允は、董卓がひとりでいるときを見計らって自宅へと招き、呂布と同じように貂蝉を紹介すると、今度はそのまま董卓に献上したのであった。

これを見た呂布は王允に詰め寄るが、王允は「呂布どのにめとらせるために董卓が引き取っていった」と話し、呂布はこれを信じたのである。

しかし、そんないきさつを知らない董卓は、当然のように自身の奥御殿に住まわせていた。貂蝉は、呂布の前では「董卓が私を無理やり……」と泣いて見せる一方で、董卓の前では「呂布に迫られて困っています」などと詠えたため、呂布と董卓の間は日増しに険悪になっていった。

こののち、呂布と貂蝉が会っているところを董卓が見てしまったため、ふたりの仲は急激に悪化。

貂蝉が「当代一の英雄と聞いていましたのに、人の下で指図を受けておられるとは」と嘆いてみせれば、王允も「呂布殿に娘を嫁がせるはずでしたのに、これでは将取と私は世間の笑い者です」と呂布を焚きつけ、門灯はついに董卓暗殺に踏み切ったのであった。

見事に逆賊を滅ぼした貂蝉は、このときなんと16歳。悪漢を滅ぼすためとはいえ、恐ろしいまでの悪女ぶりだが、実は演義の作者に創作された人物だといわれている。

一説には、呂布が董卓の側室と密通し発覚を恐れて王允に相談したところ、董卓の暗殺を考えていた王允に誘われて暗殺に加担したとされ、紹蝉はこの側室がモデルになっているともいわれている。


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