張こうは三国志において最も評価されてよい人物


袁紹軍を抜けて曹操のもとへ
魏の武将としてよく知られる張こうは、「黄巾の乱」から40年にわたって戦場で戦い続けた名将である。

世が乱れて黄巾の乱が起きると、各地で義兵の募集があった。張こうはこれに応じて賊を討ち、世に出ることとなった。黄巾の乱が平定されると韓馥に仕えていたが、韓馥が「袁紹」へ所領の統治を譲った際に袁紹の配下となり、「公孫さん」との戦いでは大きな戦功をあげた。

「曹操」の軍勢と戦った「官渡の戦い」では、「張遼」との一騎討ちに挑み、互角の勝負を演じている。

烏巣の食糧基地が曹操軍に攻撃されると、張こうはすぐさま救援に向かうべきと進言したが、参謀の郭図はこの機会に曹操の本陣を攻めるべきだと主張した。

張こうは「曹操は計略に富んでいるので、不測の事態に備えているでしょう。本陣を落とせなかった場合、我々は捕虜になってしまいます」と反論したが、袁紹は郭図の進言を重視。

張こうは同僚の高覧とともに曹操の本陣を攻めたが、果たして本陣付近には「夏侯惇」をはじめとする伏兵が配置されており、本陣を攻略するどころか逆に攻め立てられて大敗した。

すると、郭図が自らの計略が失敗だったことを立証されることを恐れ、「張こうと高覧は曹操に降伏したがっていた」とざん言し、これを信じた袁紹はふたりを呼び戻そうと使者を派遣した。

ところが、高覧は使者をバッサリと斬り捨て「袁紹はざん両を信じる人物だからいずれ敗北する」として、張こうを誘ってともに曹操に降伏したのである。


実力故に演義ではやられ役な面も
さて、張こうたちが降伏すると、曹操軍の将軍たちは疑いを抱いたが、開戦値後の一騎討ちで張こうの戦いぶりを目にしていた曹操は、内心ひそかに感心していたため大いに喜んだという。

こうして曹操のもとに仕えることになった張こうは、のちの袁紹軍との戦いですでに一軍を任されるようになるなど大きな信頼を得て、これ以後軍団の中核を担って数々の戦場で活躍していった。

「演義」では、しばしばやられ役のような扱いを受けている張こうだが、これは作者が漢皇室の末喬である「劉備」寄りの人物だからであろう。

正史の「魏書」によれば、「張こうは変化の法則をわきまえ、よく陣営を処置し、戦争の状況・地形を考慮し、計略通りにいかないことはなかった」とあり、優秀な武将であったことがうかがえる。

彼が落命した最後の戦いも、「演義」では張こうが無理をしたようになっているが、実は「司馬懿」が犯したミスによるものであった。三国志において張こうは、もっと評価されてよい人物だといえよう。


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