三国志の死因で意外と多いのが病死だった

死因に病死が多い
三国志を代表する三人の英傑、劉備・曹操・孫権は、それぞれ63、65、71歳という年齢で死去している。 現代の日本人から見れば長寿というほどの年齢でもないが、当時の寿命に対する常識からすれば、立派という以上のものである。

劉備曹操は人生のサイクルを一巡する還暦を超えて生き、孫権は「人生七十、古来希ナリ」の古希を過ぎている。天下を取ろうとするほどの人物は、生命力もよほどタフでなければいけないのだろう。 戦乱の時代だから戦死した人間が多いのはもちろんだが、三国志の人物伝に名を連ねるほどの人には、意外と病死が多い。

董卓・暗殺
袁紹・病死
袁術・病死
劉表・病死
呂布・刑死
公孫さん・自害
陶謙・病死
劉焉・病死

黄巾の乱以降の群雄を列挙してみても、病死がいちばん多いのである。生没年のわかっている劉表と陶謙は、60歳をいくつも過ぎてから亡くなった。まあ、前線で戦う兵士や指揮官と違って、矢面に立つことの少ない総大将は、そう滅多に戦死しないものだろうと考えられる。いつの時代も下々から消えていくものなのだ。

それでは、最大の死因である「病」とは、いったい何だったのだろうか。それがよくわからない。あまりに記録が少ないからだ。

わずかな根拠から類推するならば、いくつかそれらしい病気を挙げることのできるケースもある。 たとえば、曹操は偏頭痛に長年悩んでいたことや、倒れてからしばらく病床にあったと推測されることから、動脈硬化、高血圧による脳梗塞が死因だったと思われる。

また袁紹や袁術は、大量に血を吐いて死んだというから、胃潰瘍か胃ガンのような胃の病気か、食道静脈瘤破裂、もしくは肺結核が疑われる。それも史伝に名が残るくらいの人物だから、わずかでも記録があるので、一般の庶民の死に方などは何もわからない。

ただ、当時の庶民の死因としていちばん多かったのは、なんといっても餓死だったのではないかと推測される。 現代のアフリカでも見られるように、戦乱で行政機構がマヒしてしまうと、局地的に作物の不作となった場合、こちらの食糧をあちらに持っていくことが不可能になる。

そうなると買い占めや売り惜しみが起きて、市中に食糧が出回らなくなり、飢餓が発生してしまう。それが連鎖反応的に拡大していって、全体として見れば食糧は足りているのに、飢餓する人間が野山を埋めるという事態になるのだ。

飢餓のあとには必ず伝染病が蔓延する。そうやって後漢末には数千万の人口が、あっという間に激減することになったのだろう。

三国志の時代とは、戦争そのものによる死よりも、乱世という社会状況によって引き起こされた死、みじめな死のほうが圧倒的に多かったといえる時代だったのではないだろうか。 それが歴史の闇の部分なのである。
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