三国志の武将たちの中で一番強いのは誰?人物を詳しく分析評価

誰がいちばん強いのか
まだ『三国志』を書く前に、中国文学者の井波律子さんとお会いし、三国志について語ったことがある。井波さんはそのとき「誰がいちばん強いって、呂布がいちばんじゃないかしら」とおっしゃった。井波さんは『正史三国志』の全訳に携わり、後に一人で『三国志演義』を全訳するほどの三国志ファンである。

ふつうの女性ならば趙雲と答えそうなところを、呂布がいちばんとは。どこか女心をくすぐるようなところが、呂布にはもともとあったのかもしれない。
誰がいちばん強いのか、呂布ではなかったかと思う。なにしろあの関羽と張飛の二人を相手にして、それでも負けなかったのだから。

では、その関羽はどうか。
呂布と同じく一人で一万の兵に匹敵するといわれる関羽は、またそれ以上に理の人、義の人だった。曹操の急襲により劉備が徐州から奔走した際、下侈にいた関羽は、劉備の正室、側室を守るために曹操に降伏する。曹操は関羽の武を惜しみ、配下に加えようと盛んに口説くが、関羽はその恩義には感じ入るものの、劉備を裏切るような薦めには決して従おうとしない。「官渡の戦い」に従軍した関羽は、緒戦で袁紹軍の猛将顔良の首をあっさりと奪うと、それで曹操への恩義は果たしたと、ただちに二夫人を連れ立って劉備のもとへ帰還する。この鮮やかさ、誇り高さこそが、関羽の関羽らしいところだ。

肘に刺さった毒矢の毒を取り除くため、宴席で医者に肘を切り開かせ、骨の中の毒をガリガリと削り取らせて縫合した後、カラカラと笑ったという豪快なエピソードも『演義』にはある。
ただ晩年、劉備が蜀入りを果たした後、一人で荊州の留守居役を任された関羽は、戦人としては寂しいときを過ごしている。義兄弟の契りを交わした劉備に報いるために、劉備と離れた土地を守らなければならない。占領統治が仕事のため、むやみに戦うこともできない。理にこだわり、義に厚く、民に尽くそうとする関羽には、人の心の弱さや狡さまではわからない。

その結果、最も嫌っていた謀略によって味方に裏切られてしまった。
敗色明らかな戦場に、ごくわずかな側近だけを従えて出陣する関羽。
「旗をあげよ。関羽雲長の旗を」
「はい」
「城を出る。私は、最後まで諦めぬ。男は、最後の最後まで戦うものぞ。これより全軍で、益州の殿のもとへ帰還する」
たった十名でのこの戦いは、ぼくにしてみれば戦人としては薄幸だった男への、せめてもの花道だった。

優しさと一途さ
強さという意味では、義兄弟のもう一人、張飛も強い。張飛の強さを見せつけた事件といえば、「長坂の戦い」につきる。「赤壁の戦い」の直前、劉備が荊州を追われて呉に逃げる途中、曹操の騎馬軍団による猛追を受けた。長坂で追いつかれたと知るや、張飛はわずかな手勢だけで防戦し、劉備一行が長坂橋を渡るのを見届けるや、最後は曹操軍の前にたった一人で立ちはだかる。

「俺を打ち倒さない限り、この長坂橋は渡れんぞ。誰か、気骨のあるところを見せてみろ。いま、橋の上はこの張飛翼徳ただひとりだ」
この一件は、いかにも『演義』世界のエピソードのようだが、じつは『正史』(「蜀書・張飛伝」) にもちゃんと記録されている。

さて、この張飛という人物にも呂布に近い思い入れをしている。
若くして劉備を慕ってきた趙雲は、一年の修行を命じられ、各国の武将のもとにつき戦の本質を学ぶ。三年目に旅から戻った男は、苛烈さと素早さを劉備軍に持ち帰り、義兄弟の弟分としての地位を固める。やがて蜀の長老たちが次々とこの世を去ると、関羽・張飛の戦い方を若者たちに徹底して教え込み、老境に至るまで自ら戦場を駆け回った。
蜀の戦人にはもう一人、馬超がいる。父馬騰および一族を曹操に虐殺されたことから、西域で軍を率いて曹操にも造反。その首級をあげる寸前まで攻め込むこともあった。やがて蜀の劉備を頼ってくる。

西域で馬超の猛攻を防ぎ、曹操を守りきった魂の人、許楮も忘れてはならない戦人だ。『正史』にも、「容貌はおおしく毅然とし、武勇・力量は人なみはずれていた」(「魂書・許楮伝」)とある。牛の尾を片手で引き百歩歩いたこともあるらしい。一方で、「許楮は人がらが慎み深く、法律を遵守し、質朴で重々しく言葉少なであった」(同)とも記録されている。曹操は許楮の勇壮さを一目で気に入り、宿直警護の役に就けて、つねに身辺を護らせた。曹操暗殺を企てた者たちは許楮の姿を見て躊躇し、許楮の休みの日を狙うと、なぜか胸騒ぎのした許楮が引き返してきてたちまちのうちに賊を斬り伏せたという逸話も残っている。

ほかにも魏の夏侯淵、夏侯惇、張遼、典章、蜀の王平、魏延、呉の太史慈、周瑜、韓当、黄蓋、程普、陸遜。最後はどこかで果ててゆくこの男たちが何を成し遂げたのかということは、どうでもいい。こうした男たちが全うした人生、もがきあがいた人生から何を読み取るかというのが、三国志を読み解く醍醐味なのだと勝手に考えている。