三国志14における武将の能力値
名前 | 統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 |
陶謙 | 51 | 33 | 63 | 64 | 77 |
陶謙が脚光を浴びるのは193年。曹操の父曹崇が曹操のもとへと向かう際に、陶謙は配下の張がいを護衛として同行させるも、張がいが裏切り曹嵩を殺害してしまう。
怒った曹操が徐州の民を皆殺しにしながら迫り来ると、陶謙は魔竺の献策を受けて各地に援軍を要請。これに応じ陶謙のもとへ駆けつけたのが、孔触と「劉備」だった。
「呂布」がえん州を攻めたために曹操が退却すると、陶謙は盛大な宴を開いた。この席で陶謙は徐州を劉備に譲ろうとするが、劉備はこれを固辞。しかし、病に倒れ老い先短いことを察した陶謙は、劉備を呼び出して徐州の勅史になるよう再び強く頼み、そのまま息を引きとった。
2.正史と演義
正史彼は「正史」では邪悪な人物として描かれている。これは、曹操の徐州における虐殺を正当化するために、魏びいきの「正史」では、陶謙を悪人にするしかなかったという事情のため。
演義
「演義」では徳のある好人物とされているが、これも割引くべきだ。 劉備びいきの「演義」では、劉備が陶謙に徐州を譲り受けたという事情があるため、その実情以上に描かれている。
この記事を見た人は、下記にも注目しています!