陶謙は正史と演義で対照的な人物として描かれている


劉備に徐州を託し息を引きとる
「演義」では領民を曹操の虐殺から守るために我が身を差し出そうとするなど、温情ある性格の持ち主として描かれているが、出仕に応じなかった張昭を投獄したり、「孫策」の使者としてやってきた呂範にスパイ疑惑をかけて拷問するなど、荒々しい一面もあったという。

陶謙が脚光を浴びるのは193年。曹操の父曹崇が曹操のもとへと向かう際に、陶謙は配下の張がいを護衛として同行させるも、張がいが裏切り曹嵩を殺害してしまう。

怒った曹操が徐州の民を皆殺しにしながら迫り来ると、陶謙は魔竺の献策を受けて各地に援軍を要請。これに応じ陶謙のもとへ駆けつけたのが、孔触と「劉備」だった。

「呂布」がえん州を攻めたために曹操が退却すると、陶謙は盛大な宴を開いた。この席で陶謙は徐州を劉備に譲ろうとするが、劉備はこれを固辞。しかし、病に倒れ老い先短いことを察した陶謙は、劉備を呼び出して徐州の勅史になるよう再び強く頼み、そのまま息を引きとった。


正史と演義
正史
彼は「正史」では邪悪な人物として描かれている。これは、曹操の徐州における虐殺を正当化するために、魏びいきの「正史」では、陶謙を悪人にするしかなかったという事情のため。


演義
「演義」では徳のある好人物とされているが、これも割引くべきだ。 劉備びいきの「演義」では、劉備が陶謙に徐州を譲り受けたという事情があるため、その実情以上に描かれている。


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