黄蓋は周瑜と赤壁の戦いで苫肉の計で曹操をだます

兵士の末端にまで気を配る歴戦の宿将
貧困のなかで育ったが、常に向上心を持ち仕事の間に兵法の研究を怠らなかった。孫堅が挙兵してすぐに仕えている。

苦労人ゆえか、兵士の末端にまで気を配り、常に兵士たちは彼を慕っていたという。赤壁の戦いでは周瑜に偽降と火攻の計略を進言し、曹操軍を撃退するきっかけを作った。

この功により荊州の武陵太守に任命され、武陵の異民族や長沙の山越族討伐に功を挙げた。 赤壁の戦いばかりが有名だが孫家にとっては、まさに歴戦の宿将ともいうべき人物である。


赤壁の戦いの立役者
黄蓋は「孫堅」の挙兵とともに配下となり、「孫策」、「孫権」と3代にわたって仕えた。職場では自ら斬り込んでいく猛将としても知られる。威厳のある風貌の持ち主で、兵士たちの面倒をよくみていたため、黄蓋配下の兵士はいつも先を争って戦った。

208年、赤壁の戦いにおいて、「曹操」の船が密集して動きが取れないのをみて、総司令官の「周瑜」に火攻めを献策する。

演義では、黄蓋と周瑜が事前に相談し、曹操の間者蒋幹の目の前で周瑜の作戦を批判した。怒った周瑜は血まみれになるまで黄蓋を打ちすえる。

蒋幹は芝居と気付かず、黄蓋に曹操への投降を持ちかけ、投降の旨が書かれた黄蓋の手紙と蒋幹の証言で、疑り深い曹操も「苫肉の計」にかかり、黄蓋の投降を信じてしまう。

黄蓋は枯草や薪を積んだ船を率いて出陣して、敵船に火を放つことに成功。呉軍の勝利に大きく貢献した。赤壁の戦いのあとは、異民族の反乱の鎮圧に従事したとされる。


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