名前 | 統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 |
曹植 | 20 | 22 | 81 | 70 | 80 |
1.曹操の第四子として生まれる。10歳で「詩経」、「論語」、「楚辞」といった士太夫の基礎教養を修め、数十万文字にわたる文章を暗語したという天才児であった。
幼少時より文章を綴るのが得意で、年不相応な文を見た曹操が「誰か人に頼んで書いてもらったのか?」と聞いたのに対し、「言葉が口から出れば議論となり、筆をとれば自然に文章となります。人に頼んでいるのかどうか、目の前で試してみてください」と答えている。
まさに、文学の申し子であった。長じてからは銅雀台での宴で詩作を発表するなど、曹操の築いた文学サロンの寵児として活躍する。文人趣味のある曹操は彼の利発さを寵愛し、何度も曹丕ではなく曹植を後継者としようか迷ったという。
しかし、彼はいかにも文人らしく、飲酒に節度がなく、行動は気ままで、だらしがなかった。
たとえば曹仁が関羽の攻撃を受けたとき、曹操は曹植に救援軍を率いさせようと考えた。しかし、その辞令を彼は酔っ払って受けることができなかったという。
要するに彼は天才的な文学の才能を持っている代わりに、政治や軍事など現実的なことにまったく向いていない、完全な芸術家肌の人間であった。
そのため曹操は彼を後継者とすることを諦め、曹丕を太子とするが、この紆余曲折で曹丕は曹植を恨むようになる。
曹操が死去し、跡を継いだ曹丕は曹植の側近たちを誹殺し、曹植自身をも殺そうとする。しかし、このときは、二人の母親である皇太后のとりなしで、曹植は一命をとりとめる。だが、曹丕は曹植を許さず、流刑同然に僻地の王として冷遇するのであった。その後も彼は何度も国替えをさせられ、その後の半生を不遇のままに過ごすのであった。
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