許ちょは曹操の親衛隊を務め演義では活躍をみせたが…

曹操子飼いの将
許ちょは「曹操」の親衛隊を務めた魏の猛将で、身長八尺(およそ184センチ)腰まわり十囲(およそ120センチ)の体躯の持ち主であった。人並みはずれた怪力を持っていたが誠実な性格で、若干頭が鈍かったため周囲からは「虎痴」の愛称で親しまれていたという。

「演義」で許ちょが登場するのは、曹操が黄巾族の残党・何儀と戦っているときである。農民だった許ちょが突然現れ、何儀を倒してしまったのだ。「典い」が引き渡しを要求するが、許ちょはこれを拒否。

ふたりは一騎討ちをはじめてしまい、互角の勝負を演じる。これを見た曹操が許ちょを気に入り、落とし穴の罠に掛けて捕縛すると、そのまま配下とした。

その直後の「呂布」とのき州争奪戦では、さっそく李封を討ち取るなどの活躍を見せ、楊奉と争った際には「徐晃」と激しい一騎討ちを繰り広げた。こうして曹操の許ちょへの信頼は確固たるものとなり、許ちょは親衛隊として常に曹操の側に付くようになる。

「袁紹」との「官渡の戦い」においては、曹操に従い烏巣の兵糧庫襲撃に参加。また、「赤壁の戦い」で曹操が手痛い敗北を喫した際にも、許ちょは敗走する曹操の側にあり、無事に許ちょへ撤退させた。


曹操没後は忽然と姿を消す
許ちょの活躍は続き、「どう関の戦い」においては「馬超」の猛追撃から単騎で曹操を守り抜き、その活躍を聞いた馬超から直々に一騎討ちの指名を受ける。

許ちょもこれを受け、許ちょが鎧を脱ぎ拾てるほど、熱した勝負となり、最終的にはお互いの槍がへし折れるまで戦い続けたという。

「漢中侵攻」時にも「ほう徳」と激しい一騎討ちを繰り広げ、魏で一番の猛者は誰かといえば、まず許ちょの名が挙がるほどの武名を轟かせるようになる。

曹操没後は跡継ぎの「曹丕」に仕え、曹操の葬儀に参加しなかった曹丕の弟・曹植を捕らえるなどの働きを見せたが、その後は登場しなくなり死期もようとして知れない。

なお、『正史』の許ちょは『演義』ほど雌々しい活躍は見せない。だがどう関の戦いで曹操と馬超が会談をした際、隙あらば曹操を殺そうとしていた馬超に睨みを利かせ、暗殺を阻止した逸話が残っている。曹操に忠節を尽くしたのは演義と同様で、曹操が死去した際には悲しみのあまり血を吐きながら号泣したという。

魏の武将は「演義」において、基本的に悪役扱いされていることが多いが、許ちょはあまりマイナスイメージがない。これは想像に過ぎないが、許ちょの温厚な性格や忠義の強さが作者に好まれたのかもしれない。

また、常に曹操の側にいたことから、「演義」における曹操の強さの象徴として活躍させるには、許ちょこそが適任と判断されたからなのかもしれない。


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