三国志時代の蜀の考え方が現代の日本企業の考え方の参考になる

1.魏・蜀・呉の三つのタイプと日本人
魏という国は、曹操が天才的な技を使って、名人芸でいい人材をつかまえてきた国である。一方呉には、人間をきちんと組織的に育てていくシステム的な思想と体制があった。
蜀はといえば、これは諸葛孔明というスーパー参謀に完全におんぶしていた。
特に頭脳面においては。これが良くも悪くも結局は蜀を頭でっかちな国にしてしまった気がする。

劉備が端的に、曹操と孫権と自分とを比較していったことがある。
「曹操、あるいは魏というのは、天の時を得ている。呉は地の利を得ている。
自分たちはそんなものには恵まれていない。だから人の和でいくしかないんだ」と。これはなかなか含蓄に富んだ見方である。

蜀の場合、人の和というのが、現代人の目から見ると、情念の世界にとどまっているように見えてしまう。あるいは儒教主義、観念主義になっていて、どうしてもそのあたりが世の中を変革していく、ブレーク・スルーしていく迫力に欠ける点ではないかという気がする。

ところが逆にこの点が、現代の日本人に人気のあるポイントでもある。もちろん蜀びいきは判官びいきや、孔明への人気のしからしむるところでもあるだろう。

だがそれ以上に、日本人の心を深くとらえるのは、劉備らの情念的な生きざまである。
しかしながら、劉備の「人の和」という考え方にも一理はある。
なぜなら、現代という社会からすると、地の利はどの企業も同じような条件だし、天の時などなきに等しい状況だからだ。

不況産業の人は現時点では天から見放されている。
すると現代人は、人の和で、乗り越えるしかないと考えてしまう。ここに、蜀と同じ方法論が生まれてくることになる。

2.「和」の管理学と呼ばれるものである。これはいずれ、なあなあ主義となり、組織そのものを沈滞化させてしまう。
日本人には、真の意味のチームプレーはないのではないかと、考えている。

それは「和」を大切にするあまり、お互いの欠点を補うことに終始してしまうからだ。しかし、本当のチームプレーというのは、欠点を補うことではなく、自分の役割分担を確実にこなすということだ。それぞれの役割をまっとうして、10人の力が10あるいは20となって出ていくのである。

日本人の場合、10人なら10人が、自分の力を遠慮気味、抑え気味に出し、結果として6や7の力しか生まれないところがある。

今、日本社会が直面している状況は、国際舞台である。今までのように、島国だけの「和」の管理では、とても生き残れない

蜀が、魏のように天下統一を目指すのではなく、三国鼎立をとなえたのは、孔明自身が、「人の和」の限界を知っていたからだろう。「人の和」で、実現できることには自と限界がある。

国際競争の荒波にさらされる日本社会は今後「和」からの転換を、国家から個人レベルまでふくめて考えていく必要があるだろう。組織そのものを沈滞化させてしまう。
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