陸遜は呉の知謀家で孫権の右腕として出世していった

三国志14における武将の能力値
名前 統率 武力 知力 政治 魅力
陸遜 96 69 95 88 91
得易しとなすといえども、また失い易し
(呉書・陸遜伝)
【簡単に手に入るものは、またすぐに失いがちである】
1.この言葉は、呉の知謀家・陸遜が孫権に上奏した文章の一節である。
劉備の呉征伐軍が長江を下って秘帰を占領、続いて夷陵に侵攻したときのことだ。何故すぐに夷陵奪回をしようとしないのか、という孫権に、陸遜が答えたのである。

劉備軍は、夷陵の険しい山系を背にして、湖北平原を展望できる場所に本陣を構築していた。また長江の両岸に砦を延々と点在させ、近隣の少数民族を味方に引き入れ、戦闘態勢を整えていた。これに対して陸遜は守りを固めるばかりで、自分から積極的に攻撃を仕掛けようと双方はにらみ合いの状態に入った。長期戦の構えである。

このとき陸遜は、孫権に作戦を説明するため上奏文を書いたのだった。
「夷陵は簡単に手に入りますが、またすぐに奪回されやすい場所です」と。

夷陵は、呉にとっての重要拠点である。夷陵を取ったはいいが、またすぐに失うことになると、今度は荊州全体が危なくなる。ここはじっくり構えて劉備軍の疲労を待ち、立ち直れないように根こそぎ撃滅してやろうというのが、彼の作戦だった。

持久戦は半年に及んだ。やがて兵隊一人一人に火のついた茅を持たせ、敵陣を焼き払うという呉軍の作戦が成功し、劉備軍は一気に壊滅へと向かう。劉備は夜陰に紛れて脱出、もと来た道を引き返して白帝城に逃げ込み、その翌年、諸葛亮に後事を託すと、陸遜はこの戦功で荊州の長官に出世し、孫権の右腕として揺るぎない地位を手にする


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