老黄忠という中国で有名な言葉のもとになった関羽との一騎討

老境にありながら関羽と互角に戦う
中国では、老いてもなお盛んな人を指して「老黄忠」というが、これこそが蜀で活躍した黄忠のことである。

黄忠は長沙太守の韓玄に仕えており、208年の「赤壁の戦い」ののち「劉備」の軍が攻めてくると、「関羽」と一騎討ちで対峙した。黄忠はすでに60歳になっていたが、60キロの強弓を引くことができたというから、ただの老将ではないことがわかるだろう。

さて、初日は関羽と亙角に戦った黄忠だったが、二日目の対戦で馬がつまずき、地面に投げ出されてしまった。ところが関羽はこれを見逃したので、勝負は翌日に持ち越された。

翌日、弓の名手だった黄忠は、韓玄から関羽を射殺すよう命じられていたが、黄忠は前日に関羽が見せた義侠心に心を打たれ、射殺すには忍びないと感じていた。そこで、三度目の一騎討ちがはじまると、黄忠はわざと空絃を引いて弓を使うことを知らせたのち、関羽の兜の緒を射抜いて見せたのだった。

関羽は驚いて、自陣に帰還し、黄忠が前日の返礼としてわざと外してくれたのだと悟ったのである。

ところが、これで黄忠に疑惑を抱いたのが韓玄である。義侠心のかけらもない小物の韓玄は、黄忠が関羽と結託していると決めつけ、斬首しようとしたのだった。しかし、この様子を見た「魏延」が謀反を起こし、韓玄を斬り殺して開城したため、黄忠も降伏することになったのだった。


自ら刀を振るって各地で奮戦
劉備が蜀の地の攻略を開始すると、黄忠は「ほう統」や魏延らとともに従軍することになる。

このとき、ふたつの砦を攻略することになり魏延と功を争ったが、黄忠は向ら刀を振るって敵将を斬ると、功を焦って窮地に陥った魏延を救出したばかりか、砦をふたつとも攻略する活躍を見せ、魏延を心服させた。

こののちも、魏延はたびたび窮地に陥ったが、黄忠はそのたびに自ら刀をとって敵陣に突入し、魏延を救うとともに戦いを勝利に導いている。

正史の「蜀書」にも、「黄忠は真っ先に駆けて敵陣を落とし、その勇敢さは三軍の筆頭であった」とあるので、相当な活躍だったのだろう。

またか萌開を巡る戦いでは、「諸葛亮」にはっぱをかけられて、同じく老将だった厳顔と出陣。魏軍の宿将「張こう」を討ち破ると、自ら援軍に現れた韓浩を斬り捨て、軍を進めて天とう山をも奪取した。

219年、続く「定軍山の戦い」でも、魏の重鎮「夏侯淵」を向ら斬り捨てる活躍をみせている。70歳を超える身でこの活躍ぶりは、もはや超人といえるのではないだろうか。


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