魏の徐晃は曹操に信頼され活躍するも蜀びいきの物語で歪められた真実

偶然が重なって劉備の軍師に
徐庶は幼い頃から撃剣を学び、他人に代わって仇討ちをしたため役人に捕まったこともあった。

無法者のような人物であったが、仲間に救出されて身を隠してからは身を正して学問に励み、優れた学者を訪ね歩いて司馬徽の知己になったという。このとき、石とりや孟建とともに「諸葛亮」とも知り合いになり、親交を結んだのである。

「劉備」が「劉表」のもとに身を寄せたとき、劉備は劉表から跡継ぎについて相談されたことがあった。 古来、長子を立てなかった場合にお家騒動が起きるケースが多いため、劉備は長子を立てることを勧めた。

ところが、次男を溺愛する劉表の妻がこれを盗み聞きしており、劉備は恨みを買って宴席に呼ばれて命を狙われる。劉備はからくも窮地を脱したが、逃れた先で司馬徽という人物と知り合いになり、司馬徽と仲がよかった徐庶は劉備が賢人を求めていることを知ったのだった。

徐庶は劉備が新野に戻ったのち、自ら新野に赴くと歌を歌って劉備の気を引き、単福と名乗って軍師となった。


劉備が諸葛亮と会うきっかけをつくる
劉備が徐庶を得た頃、「袁紹」を倒した「曹操」は豊かな荊州を手に入れたいと考え、「曹仁」や「李典」らを派遣した。

劉備が駐屯していた新野は小さな県だったため曹仁は侮っていたが、先鋒として派遣した将軍が斬られると、自ら出陣してきた。

曹仁は陣法合戦を挑んできたが、徐庶はあっさりと弱点を見破ると諸将を指揮し、散々に討ち破ったばかりかはん城をも陥落させたのであった。この報告を聞いた曹操が幕僚に単福とは何者かと尋ねたところ、「程いく」が徐庶であることを明かし、徐庶の老母を人質に取って徐庶を呼び寄せようと献策する。

曹操は直ちに徐庶の母を呼び寄せたが、曹操を逆賊と罵っていうことを聞かなかったので、程いくが老母の筆跡をマネて偽の手紙を書き上げると、使者に持たせて徐庶に送ったのである。

徐庶は大変親孝行な人物だったため、動揺して偽の手紙とは見抜けず、劉備との別れを惜しみつつも曹操のもとへと去って行った。

しかし、このとき曹操のために生涯計略を立てないと誓い、また自分以上の才能を持つ人物として諸葛亮を劉備の軍師に推薦。劉備が諸葛亮に会いに行くきっかけをつくったのである。

徐庶の母は息子が劉備に仕えていることを喜んでいたのだが、偽の手紙に騙されて劉備を捨ててきた徐庶を見ると、自ら首をくくって死んでしまい、徐庶は曹操のために献策することはなかったという。


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