三顧の礼にある三重の意味とそのマナーは現代でも通用する

「三顧の礼」にある三重の意味
いよいよ曹操が荊州に攻めてくる。攻めてくる折りしも、荊州で劉備が射止めたのが諸葛孔明。いわゆる「三顧の礼」の名場面である。

この出会いは、たまたま諸葛孔明をよく知っている徐庶というインテリが、劉備のところに来て、野に隠れたとんでもない伏竜がいると、諸葛孔明の話をするところから始まる。劉備はすぐに人ぼれする性格だから、ぜひ孔明に会いたいということで出かけていく。

面会を求めても、孔明は会ってくれない。体よく門前払いを食わされる。それでもあきらめず二度、三度と訪ねる。そして三度目にようやく会える。孔明はここに至って劉備の人間性とその真情を知り、劉備陣営に加わることを約束する。

「三顧の礼」は三重の意味が含まれている
第一に、それは儒教パフォーマンスであって、この作法にのっとらなければ、うまくいくものもいかなくなる。特に孔明のような大知識人の場合、この種のマナーにはうるさい。

第二にそれは孔明が仕掛けた一種の人物試験だったろう。門前払いを食わせながら相手の様子を見る。考え、態度決定する時間をおく意味合いもあったと思う。

第三は、相手の志の深さを見きわめること。たんなる演技と違って、三度も通いつめることの中に、劉備の誠実さ、必死の思いなどが透けて見えるのだ。また、孔明ならずとも、「これほどに自分を高く買ってくれるのなら」という気持ちも生まれてくるだろう。

ところがこれには異説があって、諸葛孔明がむしろ人を求めていて、劉備のところに来たという話がある。あの孔子だって売り込みをしていたという話だから、これは別に恥ずかしいことではない。

しかし、事実がどうだったかはともかくとして、「三顧の礼」のほうが話としては抜群に面白い。孔明は意識的に隠れていて、相手が三回来るまで顔を出さなかったというのだ。


「三顧の礼」のマナー
劉備が「三顧の礼」を尽くして孔明と出会い、水魚の交じわりを結ぶ有名な場面がとりあげられている。
ところで、「三顧の礼」と聞いて、今の世の中には無関係な過去の遺物と考える人が多いかもしれない。

だが、そうではないのだ。「三顧の礼」のマナーは、現代にも立派に生きている。そんな例を紹介してみよう。

満鉄の初代総裁は後藤新平だった。満鉄創立に当たり、副総裁の中村是公が人事案を練る。大蔵省傍流の専売局部長、浜口雄幸に目をつけ、理事に引っぱった。
破格の抜擢人事だったが、浜口はこれを断わる。後藤新平は、その硬骨漢ぶりに好意を抱いた。

いうまでもなく、ここでは後藤新平が劉備、そして浜口雄幸が孔明の役回りだ。後藤は第二桂内閣で逓信大臣に就任すると、すかさず次官に浜口を引っぱる。
だが、浜口は前回以上の抜擢人事にもNOの返事をする。

第三次桂内閣で、後藤はふたたび逓信大臣に就任し、人を介して三度、浜口をくどく。浜口もようやくこれを受け入れ、次官に就任したのだった。

もう一つ、もっと日常的なケースをあげよう。
会食などで上席をすすめられたとき、どうすればよいか。あまりいつまでも遠盧すると、かえって嫌みになる。かといって、サッサと席につくと、相手はハラの中で「生意気な奴だ」と考える。「それなら上席をすすめるな」というのは、へ理屈である。これはあくまで儀式なのであって、儀式にはマナーがつきものだ。

そのマナーを知らないだけで、こちらの育ち、品位、趣味などがバッチリ評価されてしまうのである。

では、どうすればよいのか。ここで「三顧の礼」のノウハウが生きてくる。つまり、二回は辞退して、三回目に「では借越ですが」などといいつつ、上席につけばよい。これでこちらも謙虚にふるまい、相手のメンツも立ったことになる。こうみてくれば、一見アナクロ風の「三顧の礼」が、実は今日でも人間関係で成功する強力なノウハウであることがわかる。こういった点に鈍感な人は、そのことだけで失敗する。