三国志の歴史のポイントを押さえた分かりやすい年表

1.そもそも、「三国志」ってどういう意味?
「三国志」とは、3つの国の興亡を記した歴史書のこと。「志」という字には「こころざし」の意味も、もちろんあるが、「書き記す」という意味もある。雑誌とか会報誌などの「誌」と同じだ。「三国のことを書き記した本、それが「三国志」である。


「三国」って、いつの時代のどこの国?
では、その三国とは、いつの時代のどの国のことなのか。
三世紀後半、中国は統一王朝だった後漢が滅びつつあった。そして、その次の統一王朝をめぐり、3つの国が争った。結果的には、晋が統一するのだが、それまでの乱世を「三国時代」と呼ぶ。西暦でいえば、220年頃から280年までの約半世紀。

その三国とは、魏、蜀、呉である。この3つが、「三国志」での三国だ。
ここで、日本の古代史好きなら、あれっと思うであろう。「魏志倭人伝」の「魏志」とは、まさにこの「三国志」のひとつ、「魏志」なのだ。そこに当時の日本のことが、卑弥呼という女王がいるとか、少しだけ記されている。この部分を「倭人伝」という。


正確に言うと魏志倭人伝という歴史書はなくて、三国志の一部の文章に含まれています。

三国志は国ごとにまとめられており、魏の国を書いたものが『魏書』、呉のことを書いたものが『呉書』、蜀のことを書いたものが『蜀書』と呼ばれています。卑弥呼が登場するのは、この中の『魏志倭人伝』です。
当時の日本の様子は日本の書物には一切書かれておらず、この三国志の部分からしかわかりません。

つまり、三国志の時代とは、日本では邪馬台国の時代にあたる。いまでこそ、経済的には中国をリードしている日本だが、この当時は、中国からみれば、比べ物にならない後進国だったわけだ。

当時の日本のことが「魏志」にもっと詳しく書かれていれば、邪馬台国はどこにあったかという論争にならなくてすんだのだが、残念ながら、当時の中国にとって、日本はどうでもいい存在だったらしく、記述もいいかげん。それが結果的に、日本史における最大の謎を生むことになってしまった。

考えてみれば、3世紀ごろという時代は、日本ではようやく「歴史」が始まるころだが、中国4千年の歴史では、もう半分が過ぎたころだ。

中国に最初の国、殷が建国されたのは、紀元前1600年頃とされている。もちろん、そのもっと前の紀元前3000年頃に黄河文明が始まっているのだが、それはおいておいても、現在までに3600年近くの歴史がある。
時間的にも、地理的にも、とてつもなく大きなスケールの中国史。そのなかで、もっとも「おもしろい」時代、それが三国志の時代なのだ。

2.『三国志』略年表
166年 ・党人の弾圧
・日南郡に大秦国王・安敦から使者が来る
167年 ・第一次党錮の禁
・桓帝が崩御する
168年 ・霊帝の即位
・竇武と陳蕃が宦官かんがんに敗やぶれる
・竇太后が幽閉される
169年 ・第二次党錮の禁
170年 ・董太后の兄、董寵が獄死する
171年 ・宋氏が霊帝の皇后に立てられる
172年 ・会稽郡で許昌の乱が起こる
173年 ・会稽太守・尹端が許昌らに敗れる
174年 ・許昌の乱が鎮圧される
175年 ・熹平石経を建てる
176年 ・党錮の禁が強化される
177年 ・霊帝が鴻都門下に人材を集める
178年 ・鴻都門学を設置する
・宋皇后が廃位される
・霊帝が売官を開始する
179年 ・巴郡で板楯蛮が反乱を起こす
180年 ・何貴人が霊帝の皇后に立てられる
181年 ・何皇后が王美人を毒殺する
・大長秋の曹節が亡くなる
182年 ・巴郡の板楯蛮がくだる
183年 ・日南郡に南方諸国から使者が来る
184年 ・黄巾の乱が起こる
・党錮の禁を解く
・涼州で羌族が反乱を起こす
・黄巾の乱が鎮圧される
185年 ・劉備が安熹県の県尉になる
・黒山賊が蜂起する
・辺章・韓遂の乱
186年 ・武陵蛮が反乱を起こす
187年 ・張純の乱
・区星の乱
188年 ・馬相の乱
・州牧の設置
・西園八校尉の創設
189年 ・霊帝が崩御する
・少帝の即位
・何皇后が皇太后に立てられる
・董太后が亡くなる
・何進が殺害される
・袁紹が宦官を一掃する
・董卓が洛陽に入る
・袁紹が洛陽から逃亡する
・袁紹が勃海太守に任命される
・献帝が即位する
・曹操が陳留で旗揚げする
190年 ・反董卓連合が挙兵する
・董卓が弘農王を殺害する
・長安に遷都する
・孫堅が袁術と合流する
・孫堅が豫州刺史に任命される
・劉表が荊州刺史に任命される
・曹操が徐栄に敗れる
(べん水の戦い)
・酸棗県の諸侯が解散する
・董卓が五銖銭を改鋳する
・王匡が董卓に敗れる
(河陽津の戦い)
191年 ・袁紹が劉虞を天子に推戴する
・孫堅が董卓軍を破る
(陽人の戦い)
・董卓が長安に入る
・公孫さんが冀州に侵攻する
・韓馥が袁紹に冀州を譲る
・黒山賊が東郡に侵攻する
・曹操が東郡太守に任命される
・南匈奴の単于・於夫羅の反乱
・張楊が河内太守に任命される
・袁紹が豫州に侵攻する
・袁紹が公孫?に敗れる
(磐河の戦い)
・公孫さんが黄巾賊を破る
・劉備が公孫さんを頼る
・孫堅が劉表に敗れ戦死する
(襄陽の戦い)
・朱儁が洛陽で挙兵する
・漢中で張魯が独立する
・劉焉が益州の支配を確立する
192年 ・朱儁が董卓に敗れる
・公孫さんが袁紹に敗れる
(界橋の戦い)
・公孫さんが袁紹を破る
(巨馬水の戦い)
・曹操が黒山賊を破る
・董卓が呂布に殺害される
・王允と呂布が政権を握る
・青州兵がえん州に侵攻する
・えん州刺史・劉岱が敗死する
・曹操がえん州牧となる
・鮑信が戦死する
・蔡ようが獄死する
・李かく・郭汜らが長安を包囲する
・呂布が敗走する
・王允が処刑される
・李かくらが馬日?と趙岐を派遣して天下を慰撫する
・陶謙らが朱儁を太師に推戴する
・韓遂と馬騰が李かりらに降伏する
・劉表が荊州牧に任命される
・朱儁が朝廷に帰順する
・曹操が青州兵を得る
・揚州刺史・陳温が病死する
・袁紹が袁遺を揚州刺史に任命する
・袁術が公孫さんに救援を要請する
・公孫さんが袁紹に圧力をかける
・袁紹と曹操が公孫?を撃ち破る
(龍湊の戦い)
・袁術が袁遺を攻める
・敗走した袁遺が兵士に殺害される
・袁術が陳うを揚州刺史に任命する
193年 ・袁紹と公孫さんが和睦する
・袁術が曹操に敗れ、揚州に敗走する
(匡亭の戦い)
・陶謙が朝廷に帰順する
・冀州・魏郡で反乱が起こる
・袁紹が黒山賊を破る
・陳うが袁術にそむく
・陳うが徐州・下ひ国に逃亡する
・袁術が寿春に入る
・朝廷の使者・馬日ていが袁術に拘留される
・青州の黄巾賊・管亥が孔融を包囲する
・孔融が劉備に太史慈を派遣する
・劉備が太史慈に兵を貸す
・曹操の父・曹嵩が闕宣に殺害される
・闕宣が天子を自称する
・陶謙が闕宣を討伐する
・曹操が徐州に侵攻する
・田楷と劉備が陶謙の援軍に駆けつける
・曹操が徐州・下ひ国で大量虐殺をする
・劉備が徐州に残る
・劉虞が公孫さん討伐の兵を挙げる
・劉虞が公孫さんに処刑される
194年 ・馬騰と韓遂が李かく・郭汜に反乱を起こす
(長平観の戦い)
・馬騰と韓遂が涼州に撤退する
・馬騰が安狄将軍に任命される
・韓遂が安降将軍に任命される
・曹操が徐州に侵攻する
・えん州で反乱が起こり、曹操が撤退する
・曹操が濮陽県で大敗北を喫する
(濮陽の戦い)
・蝗害により曹操と呂布が停戦する
以下時期(順序)不明
・益州牧・劉焉が亡くなる
・陶謙の上表により劉備が豫州刺史に任命される
・劉璋が益州牧に任命される
・徐州牧・陶謙が亡くなる
・劉備が徐州を引き継ぐ
・孫策が袁術に仕える
・孫策が廬江太守・陸康を攻める
・揚州刺史・劉ようが丹楊郡から袁術勢力を追い出す
195年 ・曹操がえん州・済陰郡・定陶県を攻撃する
・袁紹が右将軍に任命される
・李かくが樊稠を殺害する
・李かくと郭汜が争いを始める
・李かくが献帝を陣営に迎える
・郭汜が公卿を人質に取る
・朱儁が亡くなる
・伏氏が献帝の皇后に立てられる
・郭汜が李かくを攻める
・李かくが大司馬に任命される
・曹操がえん州・陳留郡・雍丘県を包囲する
・曹操が呂布を撃退し、大いに破る
・呂布が徐州に逃亡する
・劉備が呂布を受け入れる
・献帝が長安を出て東に向かう
・曹操がえん州・山陽郡・鉅野県を攻める
・李かくと郭汜が再び手を組む
・李かくと郭汜が弘農県で献帝一行を攻撃する
・白波賊の李楽らが献帝の援軍に駆けつける
・献帝一行が黄河を渡り、安邑県を都とする
・献帝が李かく・郭汜と和睦する
・雍丘県が陥落し張超が自害する
・臧洪が袁紹と断交する
・袁紹が臧洪を包囲する
以下時期(順序)不明
・孫策が丹楊郡に侵攻する
・孫策が揚州・呉郡・曲阿県の劉ようを攻撃する
・孫策と太史慈の一騎打ち
・劉ようが揚州・豫章郡に逃亡する
・太史慈が揚州・丹楊郡たで独立する
・さく融が豫章太守・朱皓を謀殺する
・劉ようがさく融を討つ
・劉ようが病死する
・朱治が呉郡太守・許貢を撃ち破る
・許貢が厳白虎(厳虎)の元に身を寄せる
・公孫さんが易京に拠点を移す
・閻柔らが挙兵する
・鮑丘の戦い
・幽州の4郡が公孫さんにそむく
・公孫さんが易京にこもる
196年 ・袁紹が城を陥落させ、臧洪を処刑する
・陳相・袁嗣が曹操に降伏する
・曹操が汝南郡・潁川郡の黄巾・何儀を討つ
・献帝が洛陽に入る
・袁術が徐州に侵攻する
・呂布が下ひ県を奪う
・劉備が呂布に降伏し、小沛に駐屯する
・かく萌が呂布に反乱し、曹性がかく萌を斬る
・袁術が天子の位を望む
・孫策が袁術をいさめる
・孫策が袁術との関係を絶つ
・曹操が洛陽(らく陽)に入る
・曹操が献帝を許県に迎え入れる
・孫策が会稽郡に侵攻する
・王朗が孫策に降伏する
・孫策が自ら会稽太守となる
・曹操が大将軍に任命される
・曹操が袁紹に大将軍の位を譲ずる
・曹操が司空・行車騎将軍に任命される
・袁譚が青州刺史・孔融を攻め陥落させる
・孔融が曹操を頼り、将作大匠に任命される
・曹操が屯田を開始する
・袁術が小沛(劉備)に侵攻する
・呂布が袁術と劉備を仲裁する
・呂布が自分の娘と袁術の息子との婚約を破棄する
・呂布が小沛(劉備)を攻撃する
・劉備が曹操を頼る
・張済が穰城を攻め戦死する
・張しゅうが張済の兵を引き継ぐ
・張しゅうが劉表に合流する
197年 ・曹操が荊州・南陽郡に侵攻する
・張しゅうが曹操に降伏する
・張しゅうが曹操に謀叛する
・典韋、曹昂、曹安民が戦死する
・曹操が許県にかえる
・袁術が天子(皇帝)を僭称する
・袁紹が大将軍に任命される
・袁術が呂布に政略結婚を申し入れる
・呂布が袁術の使者を処刑する
・袁術が呂布を攻め大敗する
・呂布、陳う、孫策が袁術討伐の詔勅を受ける
・陳うが孫策の領内に反乱工作を行う
・孫策が陳うを攻め、大いに撃ち破る
・袁術が豫州(予州)に侵攻する
・曹操が豫州(予州)で袁術を破る
・曹操が荊州・南陽郡に侵攻する
・郭汜が反乱により殺害される
198年 ・曹操が荊州・南陽郡に侵攻する
・李かくが裴茂・段わいに討伐される
・曹操が許県にかえる
・呂布が下ひ県を攻め陥落させる
・曹操が呂布討伐の兵を起こす
・曹操が劉備と合流する
・曹操が呂布がこもる下ひ県を水攻めにする
・呂布が曹操に降伏する
・呂布・陳宮・高順が処刑される
・劉備が曹操と共に許県にかえる
・孫策が朝貢する
・孫策が討逆将軍・呉侯に任命される
・王朗が朝廷に入る
・周瑜と魯粛が孫策に身を寄せる
・孫策が丹楊郡を平定する
199年 ・袁紹が易京の公孫さんを包囲する
・易京が陥落し、公孫さんが自害する
・元黒山賊の?固が、曹操に与くみした楊醜を殺害する
・すい固が河内郡の軍勢をあげて袁紹の支配下に入る
・曹操がすい固を討つ
・董承が曹操誅殺の密勅を受ける
・劉備が曹操誅殺の計画に加わる
・没落した袁術が北(袁紹)に向かう
・劉備が袁術討伐に出陣する
・袁術が病死する
・袁紹が許県攻撃のため延津に宿営する
・曹操が黎陽県に軍を進める
・曹操が臧覇を青州に進入させる
・関中の諸将が曹操に帰順する
・劉表が袁紹に味方する
・張羨が曹操に味方する
・孫策が劉勲を破る
・孫策が黄祖を破る
・劉備が車冑を殺害し徐州で独立する
・徐州の独立勢力・昌きが劉備に呼応する
・曹操が劉岱・王忠に徐州討伐を命じる
・劉岱・王忠が劉備に敗れる
・袁紹が張しゅうに使者を派遣する
・張しゅうが曹操に帰順する
・孫策が豫章郡を平定する
・孫策が厳白虎を討伐する
・孫策が許貢を処刑する
200年 ・曹操が徐州の劉備を攻める
・劉備が袁紹のもとに逃亡する
・関羽が曹操に降る
・関羽が顔良を斬る
(徐州の戦い)
・曹操軍が文醜を斬る
(延津の戦い)
・孫策が陳登討伐に出陣する
・孫策が許貢の食客に襲撃される
・孫策が死ぬ
・孫権が孫策の後を嗣つぐ
・劉辟らが汝南郡で反乱を起こす
・袁紹が汝南郡に劉備を派遣する
・関羽が劉備のもとに帰る
・曹仁が劉備を敗走させる
・再び劉備が汝南郡に入る
・劉備が曹操が派遣した蔡陽(蔡楊)を斬る
・曹操が袁紹に敗れ、官渡砦に入る
・袁紹が官渡砦を攻撃する
・袁紹が烏巣に食糧を移す
・許攸が曹操に投降する
・曹操が烏巣を強襲する
・袁紹が張こうと高覧に官渡砦を攻撃させる
・曹操が烏巣を陥落させる
・張こうと高覧が曹操に投降する
・袁紹軍が崩壊し、袁紹と袁譚が逃亡する
・曹操が密通の証拠を焼く
・袁紹が田豊を処刑する
・趙いが益州で反乱を起こす
201年 ・袁紹が冀州を回復する
・劉備が荊州の劉表を頼る
・劉備が荊州の劉表を頼る
・昌?が曹操に帰順する
・趙?の反乱が鎮圧される
202年 ・曹操がしょう県に駐留し、先人を祭る
・曹操が橋玄を祭る
・袁紹が病死する
・袁紹の長男・袁譚と3男・袁尚が対立する
・袁尚が袁紹の後を継ぐ
・曹操が黎陽県に侵攻する
・郭援らが河東郡に侵攻する
・鍾よう・馬超が郭援らを撃ち破る
・博望坡の戦い
203年 ・袁尚・袁譚がぎょう県に逃亡する
・曹操が袁尚の反撃に敗れる
・曹操が許県に帰還する
・袁尚を攻めた袁譚が敗れ、南皮県に逃亡する
・袁譚の将・劉詢がとう陰県で兵を挙あげる
・曹操が西平県に駐屯する
・袁尚が南皮県の袁譚を攻撃する
・袁譚が敗れ、平原県に逃亡する
・袁譚が曹操に降伏する
・孫権が黄祖を討伐する
・豫章郡と会稽郡で山越が反乱を起こす
・孫権が黄祖討伐をあきらめ、反乱を鎮圧する
204年 曹操、袁尚を攻め、ぎょうを占領する
曹操、冀州牧に就任
袁譚、曹操に敗れた袁尚を攻めその兵を乗っ取り、南皮に篭る
205年 曹操、袁譚を討ち滅ぼして斬る
袁尚、配下の焦触、張南に裏切られ、烏丸に弟袁熙と共に逃げる
高幹、曹操に降っていたが謀反
黒山賊の張燕、曹操に降る劉備、荊州の長官となる。
206年 楽進と李典、高幹を攻める。高幹は荊州に逃れようとしたが見つかり斬られる
207年 曹操、烏丸を攻め、その主とうとんを討ち取る
袁尚と袁熙、遼東に逃げるが、遼東の君主公孫康は彼らを斬り、首を曹操に送る
劉備、諸葛亮を軍師として迎える。
208年 曹操、玄武池を造り水軍の訓練をする。曹操、丞相に就任
孫権、黄祖を攻め討ち取る
孔融、曹操に処刑される
曹操、劉表を攻める
劉表病死。劉そうが後を継ぎ曹操に降伏
孫権、劉備の協力し合肥を攻めるも敗退
劉備と孫権の将周瑜、赤壁で曹操を打ち破る
209年 劉備、孫権の妹孫尚香を娶る
劉備、荊州の長官となる。
210年 曹操、銅雀台を築く
周瑜、蜀を攻めようと準備するが、半ばにして死亡
211年 張魯、漢中を占拠し、曹操、錘、夏侯淵に討伐さす
馬超と韓遂、関西で兵を起こし、曹操、自ら攻伐に赴き乱を治める
劉備、入蜀
212年 荀彧、曹操の帝位就任問題で対立し服毒死
213年 曹操、孫権を攻め、これを打ち破る
曹操、魏公に就く
馬超と韓遂、再び乱を起こす
214年 馬超、戦いに敗れ漢中に逃げる。韓遂は再び戦いを挑むも敗退
曹操、孫権を攻めるも敗退
劉備、蜀都成都を包囲、劉璋が降伏して蜀の地を手に入れる。統、戦死
荀攸死去
215年 韓遂死す
曹操、張魯を攻め、張魯は降伏
孫権、合肥を攻めるが、張遼に撃ち破られる
劉備、劉璋を攻め、益州を手中にいれる
216年 曹操、魏王に就く
劉備、漢中王となる。
217年 曹操、孫権を攻め勝つ
曹丕、太子に立てられる
孫権、曹操に降る
218年 軍医吉本と耿紀らが反乱を起こすが、王必によって治められる
王必、反乱鎮圧の際の矢傷が元で死亡
曹洪、劉備の将呉蘭を攻め大勝。呉蘭はていに逃亡するも、殺される
219年 夏侯淵、劉備を攻めるが大敗、夏侯淵は黄忠に斬られる
曹操、漢中の劉備を攻めるが敗退
劉備、漢中王を称す
関羽、曹仁を攻め、援将于禁を捕らえ、悳を斬るが、孫権が裏切り敗走
220年 孫権、関羽を捕らえ斬り曹操に首を送る
曹操死す、諡を武王、後に武皇帝。
夏侯惇死す
蜀漢の将孟達、魏に降伏
献帝、曹丕に禅譲し山陽公に。曹丕、皇帝に即位。魏王朝建国
曹嵩、太皇帝に追尊される
陳羣、九品官人法を定める
221年 孫権、魏に使者を送り、大将軍、呉王に任じられる
曹丕の正妻甄氏、曹丕に自殺に追い込まれて死亡
張飛、部下に殺される
劉備、帝位に昇る
222年 夷陵の戦い。劉備、孫権を攻めるも大敗
孫権、人質問題で魏を裏切る。曹丕、討伐に向かうも、孫権、長江に塁を固めて守り、曹丕は退却
劉備、関羽の弔い合戦(夷陵の戦い)で呉軍に大敗し、白帝城に敗走する。
呉蜀外交関係を修復
223年 曹仁死亡
曹彰死亡
呉の朱桓、魏の曹仁を攻め、大勝
劉備逝去。後継ぎは、息子の劉禅。補佐は諸葛亮
呉蜀同盟
225年 諸葛亮、南征。孟獲を降す
226年 曹丕死す。諡は文帝。
曹叡帝位に就く
孫権、魏を2度せめるも、司馬懿らに防がれる
227年 孟達反乱
諸葛亮、「出師の表」を上奏する。
228年 司馬懿、孟達を攻め、攻め殺す
蜀漢の将諸葛亮、北伐を実行するも、街亭にて敗退
曹休、呉を攻めたが、周鮑の羊降に引っかかり大敗。曹休は、それが元で病死
王朗死亡
諸葛亮、二次北伐開始するが、陳倉の昭奮戦により敗退
公孫淵、公孫恭の位を強奪し遼東太守に就く
229年 曹騰、高皇帝に追尊
孫権、帝位に就く
230年 錘死去
司馬懿と曹真、蜀漢を攻めたが敗北
曹操の正妻卞氏崩御
231年 諸葛亮、再度北伐を試みるも、司馬懿に阻まれ失敗
232年 曹植死す
233年 陳寿生まれる
公孫淵、呉に服属するふりをし、呉を誑かし呉の使者を殺し、魏に服属する
234年 献帝死去
諸葛亮、北伐を行い、司馬懿と五丈原で対峙する。
孫権合肥を攻めるが、曹叡と満寵に防がれる
諸葛亮、陣没
235年 曹丕の皇后郭氏崩御
236年 陳羣死去
237年 孫権の将朱然、魏の江夏郡を攻めたが敗退
公孫淵、謀反を起こし、母丘倹、討伐に向かうが長雨の為退却
公孫淵は、燕王になる
曹叡、毛皇后を殺し郭皇后を立てる
238年 司馬懿、公孫淵を攻め、公孫淵を殺す
倭の女王卑弥呼の使者難升米、魏の都に赴く
239年 曹叡崩御。諡を明帝
明帝の養子の斉王曹芳、帝位に就く。補佐は司馬懿と曹爽(曹芳が8歳であった為)
240年 黄権死去
241年 呉の朱然ら、魏の襄陽郡を攻めるが、司馬懿に防がれる
呉の太子孫登死去
242年 満寵死す
曹髦生まれる(241?)
243年 倭の女王卑弥呼、魏に使いを送る
244年 曹爽、蜀を攻めるが敗北
245年 孫権の太子孫和と孫覇対立が激化し、巻き込まれて張休、陸遜らが死亡
蜀漢のしょうえん、董允が死去
246年 母丘倹、高句麗を討伐し勝利を収める
朱然、柤中に侵入し、曹爽討伐に出るも、司馬懿の助言を聞かず敗退
247年 蜀漢の姜維、魏を攻め、夏侯覇、郭淮と争う
249年 司馬懿クーデターを起こし曹爽の一族を殺す(一応、司馬懿が曹爽ら一味のクーデターを暴き(でっち上げ?)三族皆殺した。という事になっている)夏侯覇は蜀漢に亡命
朱然、死去
姜維、北伐を行うが、郭淮らに防がれる
250年 王昶、呉を急襲し勝利を得る
孫権、太子そ孫和を廃し、孫覇を自殺させその郎党を誅殺し、孫亮を太子に立てる後見に諸葛恪
251年 王基と州泰、呉を攻め勝つ
魏の大尉王クーデターを企てるが、失敗
司馬懿、逝去
252年 王昶、胡遵、母丘倹ら、呉を攻めたが、諸葛恪に防がれ大敗
孫権逝去。孫亮が後を継ぐ
253年 諸葛恪、合肥を攻めたが、張特によって防がれる
蜀漢の姜維、北伐を行うが、郭淮、陳泰らによって撤退させられる
呉の孫峻、孫亮と謀り、諸葛恪を誅殺
254年 姜維、北伐
曹芳、酒色荒淫にふけり、司馬師ら、皇太后郭元に上奏し曹芳を廃す。曹芳は、斉王にもどる
文帝の孫高貴郷公曹髦、帝位に就く。父は曹霖
255年 母丘倹と文欽、反乱を起こすが、司馬師によって鎮圧される
母丘倹は死亡、文欽は呉に逃亡
郭淮逝去
司馬師逝去
呉の孫峻、寿春を攻めるも、諸葛誕に破られ敗退
姜維、北伐を行い、王経を破ったが、鄧艾、陳泰、司馬孚らが防戦にあたっため退却
256年 胡遵逝去
鄧艾、姜維を散々に撃ち破る
孫峻死去呉の実権は、孫りんに移る
257年 諸葛誕、呉と組んで文欽らと欽反乱を起こし、曹髦、司馬昭に鎮圧に当たる。
姜維は、北伐を行うが、司馬望と鄧艾に防がれる
258年 諸葛誕、司馬昭に斬られる
孫リン、クーデターを起こし、孫亮を廃し会稽王とし、孫休を帝位につける
孫休、丁奉と謀り、孫リンを殺す
259年 王昶逝去
260年 曹髦、司馬昭に対し、下僕等を引きつれ自ら攻めるが、賈充配下に討ち取られる
曹操の孫曹奐、帝位に就く。父は曹宇
262年 姜維北伐を行ったが、鄧艾に大敗
263年 鄧艾と錘会、蜀漢を攻め、蜀漢の後主劉禅、鄧艾に降伏
蜀漢滅亡
司馬昭、晋公になる
264年 鄧艾、蜀にて、魏の命令を無視し独立しようとするが捕らえられる
錘会は姜維等残存勢力と組み反乱を起こすが、姜維、錘会共に内輪もめで殺される
皇太后郭元崩御。元は追号
呉、魏の国境を侵すも退却
司馬昭、晋王に就く
劉禅、安楽公に就任
呉の将呂興、南方の豪族等をまとめ、魏に降ろうとするも配下に殺される
孫休崩御。後継は孫晧
265年 呉、魏に和を請う
司馬昭逝去
曹奐、司馬昭の子司馬炎に禅譲す。魏国滅亡。曹奐は陳留王に封じられる
266年 倭の使者、晋に訪れる
268年 呉の丁奉晋を攻めるが敗退
271年 劉禅死去
272年 呉の歩闡が晋に寝返ったが、陸抗が討伐
274年 曹芳逝去。諡を厲公。
陸抗死去
278年 晋、呉を攻め勝つ
279年 晋、大挙して呉を攻める。総指揮は賈充
280年 呉、晋に降伏。呉が滅亡。孫晧は帰命侯に封じられる
282年 呉の遺臣反乱を起こすが鎮圧される
283年 孫晧死亡

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