最低限の要点をまとめたわかりやすい『三国志』略年表

そもそも、「三国志」ってどういう意味?
「三国志」とは、3つの国の興亡を記した歴史書のこと。「志」という字には「こころざし」の意味も、もちろんあるが、「書き記す」という意味もある。雑誌とか会報誌などの「誌」と同じだ。「三国のことを書き記した本、それが「三国志」である。


「三国」って、いつの時代のどこの国?
では、その三国とは、いつの時代のどの国のことなのか。
三世紀後半、中国は統一王朝だった後漢が滅びつつあった。そして、その次の統一王朝をめぐり、三つの国が争った。結果的には、晋が統一するのだが、それまでの乱世を「三国時代」と呼ぶ。西暦でいえば、220年頃から280年までの約半世紀。

その三国とは、魏、蜀、呉である。この三つが、「三国志」での三国だ。
ここで、日本の古代史好きなら、あれっと思うであろう。邪馬台国について記した、唯一の文献、「魏志倭人伝」の「魏志」とは、まさにこの「三国志」のひとつ、「魏志」なのだ。そこに当時の日本のことが、卑弥呼という女王がいるとか、少しだけ記されている。この部分を「倭人伝」という。

つまり、三国志の時代とは、日本では邪馬台国の時代にあたる。いまでこそ、経済的には中国をリードしている日本だが、この当時は、中国からみれば、比べ物にならない後進国だったわけだ。

当時の日本のことが「魏志」にもっと詳しく書かれていれば、邪馬台国はどこにあったかという論争にならなくてすんだのだが、残念ながら、当時の中国にとって、日本はどうでもいい存在だったらしく、記述もいいかげん。それが結果的に、日本史における最大の謎を生むことになってしまった。

考えてみれば、三世紀ごろという時代は、日本ではようやく「歴史」が始まるころだが、中国四千年の歴史では、もう半分が過ぎたころだ。

中国に最初の国、殷が建国されたのは、紀元前1600年頃とされている。もちろん、そのもっと前の紀元前3000年頃に黄河文明が始まっているのだが、それはおいておいても、現在までに3600年近くの歴史がある。
時間的にも、地理的にも、とてつもなく大きなスケールの中国史。そのなかで、もっとも「おもしろい」時代、それが三国志の時代なのだ。

『三国志』略年表
184「黄巾の乱」起こる。曹操、孫堅、劉備ら討伐戦に参加する。
189 董卓の専横政治始まる。
191 孫堅、董卓を破り、洛陽に入る。
192 呂布、董卓を殺害する。孫堅が戦死、孫策が呉候となる。
194 劉備、徐州の長官となる。
196 曹操、献帝を迎え、許に遷都する。劉備、呂布の裏切りに遭う。
198 曹操・劉備、呂布を破る。呂布死亡。
199 献帝、曹操の暗殺計画をだす。劉備、曹操の命で哀術を滅ぼすも、暗殺計画がばれ、反旗を翻す。
200 劉備、曹操に破れ、袁紹のもとに身を寄せる。曹操、「白馬の戦い」に続いて「官渡の戦い」で哀紹を破る。孫策が暗殺されて、孫権が後継となる。
201 劉備、汝南で曹操に破れ、劉表の下へ身を寄せる。
207 劉備、諸葛亮を軍師として迎える。
208 劉表死去。後継の劉珠は曹操に降伏する。曹操、南下を開始、劉備を追撃「長阪の戦い」。孫権・劉備連合軍、「赤壁の戦い」で曹操を破る。
209 劉備、荊州の長官となる。
214 劉備、成都を占領、蜀の支配者となる。
216 曹操、魏王となる。劉備、漢中王となる。
219 曹操・孫権が手を結び、「奨城包囲戦」で関羽を捕らえ処刑する。
220 曹操、没する。都は洛陽に。曹杢が魏の初代皇帝となる。
221 劉備、蜀漢の昭烈帝となる。張飛暗殺される。
222 劉備、関羽の弔い合戦(夷陵の戦い)で呉軍に大敗し、白帝城に敗走する。
223 劉備、病没する。劉禅が即位し、諸葛亮が蜀の実権を握る。
225 諸葛亮、呉討伐で南征を行う。
227 諸葛亮、「出師の表」を上奏する。
228 諸葛亮、劉備の遺志を継いだ魏討伐で、「街亭の戦い」に敗れる。
229 孫権、呉の皇帝となる。
234 諸葛亮、「五丈原の戦い」で司馬誌に挑む。諸葛亮、陣没する。
249 司馬誌、クーデターで魏の実権を掌握する。
263 魏軍、蜀に侵攻する。劉禅降伏して蜀が滅亡する。
265 司馬炎が晋を建国する。魏滅亡。
280 晋軍が呉を滅ぼし、天下を統一する。



この記事を見た人は、一緒にこんな記事も読んでいます!