三国志14における武将の能力値
名前 | 統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 |
沮授 | 79 | 35 | 90 | 89 | 76 |
袁紹が「曹操」と決戦すべく兵を起こした際、田豊が牢獄に繋がれたことを聞いた沮授は、「勝てば威勢も張れようが負けたらこの身すら危ない」として、一族に財産を分配したという。このとき沮授は、田豊と同じように袁紹の敗北を予見していたのだろう。
陣中では持久戦を唱えたが、自己を過信する袁紹は聞き入れず、逆に鎖で繋がれてしまった。
また、烏巣の食糧基地が攻撃される際には、やはり注意を呼びかけたものの取り合ってもらえず、みすみす曹操軍にしてやられる結果となる。
袁紹が敗北すると沮授は捕虜となったが、曹操は沮授を高く評価しており、また馴染みだったこともあって丁重に扱われる。
しかし、沮授は節を曲げず馬を奪って逃げようとしたため、怒った曹操によって殺されてしまった。曹操は「忠義の士を殺してしまった」として沮授を手厚く葬り、墓碑に「忠烈沮君の墓」と刻ませたという。
2.袁紹軍において曹操を圧倒する手腕を発揮
官渡の戦いにおいて、実戦上の指揮を執っていた人物。袁紹軍が曹操を圧倒したのは彼の手腕によるところが大きい。しかし、審配、郭図らの武将たちが彼に従わず、袁紹は指揮権を沮授、郭図、淳干けいの3名に分割してしまう。以後、相互に足を引っ張り合い、曹操の奇襲を許し、敗北を招いた。
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