沮授は袁紹配下の優秀な参謀で最期まで忠義を貫く


袁紹の部下として最期まで忠義を貫く
沮授は「田豊」と並んで、「袁紹」配下の優秀な参謀として知られる人物だ。

袁紹が「曹操」と決戦すべく兵を起こした際田豊が牢獄に繋がれたことを聞いた沮授は、「勝てば威勢も張れようが負けたらこの身すら危ない」として、一族に財産を分配したという。このとき沮授は、田豊と同じように袁紹の敗北を予見していたのだろう。

陣中では持久戦を唱えたが、自己を過信する袁紹は聞き入れず、逆に鎖で繋がれてしまった。

また、烏巣の食糧基地が攻撃される際には、やはり注意を呼びかけたものの取り合ってもらえず、みすみす曹操軍にしてやられる結果となる。

袁紹が敗北すると沮授は捕虜となったが、曹操は沮授を高く評価しており、また馴染みだったこともあって丁重に扱われる。

しかし、沮授は節を曲げず馬を奪って逃げようとしたため、怒った曹操によって殺されてしまった。曹操は「忠義の士を殺してしまった」として沮授を手厚く葬り、墓碑に「忠烈沮君の墓」と刻ませたという。


袁紹軍において曹操を圧倒する手腕を発揮
官渡の戦いにおいて、実戦上の指揮を執っていた人物。袁紹軍が曹操を圧倒したのは彼の手腕によるところが大きい。しかし、審配、郭図らの武将たちが彼に従わず、袁紹は指揮権を沮授、郭図、淳干けいの3名に分割してしまう。以後、相互に足を引っ張り合い、曹操の奇襲を許し、敗北を招いた。


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