桓帝は21年間も長く在位して後漢末の歴史を決定づけた皇帝

桓帝
132~167年
漢王朝11代皇帝

21年という長期にわたって在位することで後漢末の歴史の方向を決定づけた皇帝

後漢王朝11代皇帝。決して優れた皇帝との評価はないが、21年という長期にわたって在位したことで、歴史に多大な影響を与えた。

異常なほど幼帝が多かった後漢王朝では、成人の皇帝が長期に在位するだけでも、時代に変革を及ぼす力となったのである。

桓帝が146年に皇帝に即位した当時、宮中は4代にわたり専横を続けていたばっこ将軍こと、りょうきの支配するところとなっていた。

この体制を嫌った桓帝は、159年、単超、唐衡ら5人の宦官とともにりょうきを誅滅する。これにより後漢王朝の問題点であった外戚支配は一掃された。

だが、桓帝は自分の同志であった宦官たちを要職に就け、彼らを重用したため、外戚に代わって宦官たちによる支配を招くのである。

しかし一方で、陳蕃やりようといった清流派と呼ばれる知識階級の士太夫たちも登用しており、バランスのとれた政治を行なおうとしていたことは窺える。のちに後漢末の政治状況の流れとなる宦官と清流派の対立構造は、彼の政治的スタンスがもたらしたものであった。

とはいえ、清流派と宦官が対立したときは、清流派に公職追放などの弾圧を加えるなどし、基本的には宦官側を擁護していた。それでも桓帝存命時は、両者の対立も激しいものではなかった。

桓帝が崩御したその年、清流派が企てたクーデター未遂事件に対し、宦官たちは死罪などの重罪を科したのである。

桓帝は凡庸と評価される皇帝であったが、宦官や清流派たちをうまく扱っていたことはよくわかる。 皇帝が皇帝らしく機能していた最後の皇帝が、桓帝であったのだ。


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