し水関の戦い|董卓軍に挑む関羽と張飛の活躍は実際にあったのか

し水関の戦い
劉備、関羽、張飛のデビュー戦、さて彼らの成績は?
190年/董卓軍VS反董卓連合軍/引き分け

董卓の横暴を許せないとして立ち上がった反董卓連合軍。リーダーは袁紹。先陣を切ったのは孫堅。洛陽の東、し水関へ向かい進軍した。ここを制圧できれば、洛陽ヘの攻撃の拠点となる。董卓はそれを迎え撃つため、華雄に5万の兵を預け出陣させた。

孫堅の陣営には猛将が何人もいたので、果敢に戦い、勝てる寸前までいく。ところが、孫堅が援軍を頼んだのに、袁紹は送らない。そのまま孫堅が勝ってしまい、洛陽に攻め入って董卓を倒してしまうのを危惧したからだ。

それでは、自分の出番がなくなってしまうと考えた。袁紹とはそういう男だった。孫堅軍は四将のうちの一人が孫堅の身代わりとなって死ぬなど、大きな痛手を受けて敗北する。

反董卓連合軍はこれで完全にしらけてしまった。袁紹が「華雄に挑む者はいないのか」と言っても誰も手を挙げない。と思いきや、そこに立ち上がった大男がいた。関羽である。

だが、袁紹は関羽の身分が単なる一兵士でしかないことを知ると軽蔑し、お前などに何ができる、という態度をとった。曹操が仲をとって、「やらせてみて、負けて戻ってきたら責めればいい」と言ったので、関羽の出陣は認められた。関羽は「もし負けて帰ってきたら、私の首を切ってくれ」と豪語して馬にまたがり単身、敵の陣に突っ込んでいった。

しばらくたって、関羽は戻ってきた。その手には、華雄の首があった。
華雄の死を知った童卓は、呂布に出陣を命じ、水の西にある虎牢関を固めることにした。華雄軍を倒し、勢いに乗って攻める連合軍だが、呂布の前に次々と倒される。

だが、その呂布に敢然と立ち向かった男がいた。張飛である。長い矛で呂布と一対一で渡り合う。そこに、関羽もやってきて加勢するのだが、決着がつかない。それを見て、劉備もやってくる。劉備は雌雄三振りの剣で戦う。

さすがに一対三となってはかなわないと、呂布は名馬、赤兎馬で逃げることにした。
引き分けである。虎牢関の戦いそのものも、董卓軍と連合軍の引き分けに終わった。

この戦いは、関羽と張飛の鮮烈なデビュー戦として有名なのだが、残念ながら史実にはない、フィクションのようだ。劉備たちが連合軍にいたことは事実だが、呂布と戦った記録は何もない。

「三国志」のストーリー展開上は、ここにおいて、劉備、関羽、張飛の二人が歴史の前線に登場する場面であり、また後の曹操と関羽の関係の伏線にもなっている。また、悪役としての呂布の強さ、孫権の父である孫堅の強さと悲劇性も印象づけられる。


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