劉備の後を継いだ劉禅は幼い頃趙雲に救出されている


悪、小なるを以てこれを為すなかれ。
善、小なるを以てこれを為さざるなかれ
(蜀・劉禅)
【悪いことは、どんなに小さなことでもやるな。逆に善いことは、どんなに小さなことでもするべきだ】

劉備はその死に臨み、諸葛亮を呼んで後事を託した。

この言葉は、その劉備が息子・劉禅に残した遺書のなかの一部分である。前半は、「人間50まで生きれば短命とはいえない。まして60をすぎている。恨むこともないし、悔やむこともない。気にかかるのは、ただお前たちのことだ」と息子たちを心配し、最後に劉備は、「われ亡きあとは、お前たち兄弟は孔明(諸葛亮)を父と思い、その教えに従え」と書き残している。

劉備には三人の息子がいたようだ。劉禅は長男で、彼は父親が「騨肉の嘆」を漏らし、諸葛亮を迎えるべく、その庵に通っていたときに生まれている。翌年、劉備は南下してきた曹操から逃れるように荊州を脱出するが、追撃してきた曹操軍の猛攻にあい、妻と幼い劉禅を戦場においてきぼりにする。その母子を、危険を顧みずに飛び込んで救出したのが趙雲である。

ちなみに『演義』では、戦場に取り残された夫人と劉禅が趙雲に救出されるまでは正史と同じだが、そのあとが違う。夫人は彼に劉禅を託し、自らは足手まといにならないよう、井戸に身を投げてしまう。趙雲は、そんな夫人の遺体が曹操軍に見つかって辱めを受けないよう、塀を壊して、その井戸を隠すのである。