三国志にみる現代でも役に立つ判断力・交渉力の高め方やノウハウ

判断力、交渉力を高めるにはどうすればよいか
判断力と交渉力はきわめて重要な、しかもお互いにつながりの深い能力だ。交渉力のバックになるのが判断力であるし、判断したことを相手との関係において実現させるのは、交渉力の働きである。

ただし、ここでとりあげてみたいのは、ルーチンを処理するたぐいの判断力でも、日常取引の場面で多用されているありふれたレベルの交渉力でもない。

社会のパラダイムシフトを見極め、それに柔軟に対応すること。不透明な状況の一歩先を読むこと。ゆきづまった事態を打開すること、変革期に求められるのは、こうした判断力であり、交渉力である。

では、この意味の判断力、交渉力を高めるにはどうすればよいのか。順に述べよう。

まず、判断力から
第一に、判断の仕方には大きく二つのものがある。一方は確固たる判断基準や信念、あるいは不動の方針に従って、一貫性のある判断を行うこと。もう一方は、柔軟かつ素早く、つぎつぎに方針や自分の対応の仕方を変えること

もちろん、どちらが正しいとか間違っているということではない。しかし、変革期のという形容詞(条件)がつく場合に限っては、後者の対応のほうが望ましい。激動の時代には、ちょっと前まで正しかった判断基準も、あっという間に通用しなくなるからだ。

変化に無関心のワンパターンの判断は、重大な失敗につながりやすい。建武の新政から南北朝へと続く時代は、日本史上有数の激動期だった。朝令暮改が日常茶飯事で、その言葉が流行語になったほどだ。しかし、変革期に朝令暮改が行われるのは、むしろ健全な姿ではないか。今日の経営者でも、たとえば堤清二は朝令暮改を恐れない。そこに彼らの創造性やしたたかさをみるのだ。

第二に、判断の本質は状況判断である。状況は、場所、時間的ファクター、関係、出来事からなる。そのダイナミックスの把握に努める必要がある。

おかれた状況がどうなるかによって、同じ判断が正しくもなり、誤まりにもなる。一例として、企業の経営多角化の問題を考えてみよう。興人と旭化成は、どちらも猛烈に多角化戦略を展開した会社。その結果は?

興人は無理な多角化が命とりになって倒産した。旭化成はわが国屈指の多角化企業だが、現在なお多角化を進めている。つまり、旭化成は多角化によって成長を続けている。

同じ多角化を進めても、このように明暗がくっきり分かれる。旭化成は自社の経営資源、蓄積技術、市場の動向など、つまり状況を読みながら多角化を図った。
興人にはそれがなかった。結局は状況判断の巧拙が、結果を左右したのである。

第三に、時流を読む、一歩先を読む、そして一歩先の時流に乗ること

日立製作所の三田勝茂社長の場合、工場時代に将来を決定的に左右する出来事があった。たまたまある機会に恵まれ、専門外のエレクトロニクスの勉強をする。
アメリカでコンピュータの研究にも携わった。

周知のとおりこの分野が、今日の花形になった。また、経営者にも語学力を含む国際感覚が要求される時代になった。そうした一歩先の時流に乗って、彼は社長の椅子を射とめたのである。

このケースは、ただ運がいいといって片づけるのは適当ではない。現状に安住することなく時代の変化を察知し、新しい世界を選んだことが大成につながった。

彼の判断と、その後の行動が正しかったわけだ。
以上の他に、判断力を高めるノウハウとして、場合分け、重みづけの二つをあげておく。可能な限り多くの場合を想定し、選択肢を立て、その中からウエイトをつけながらベスト、ベターなものを選び出すことが、正しい判断をもたらす。この二つは、あらゆる判断ケースに不可欠な必須のノウハウといえる。

つぎは、交渉力
第一は、交渉目的、あるいは譲れない一線を明確にすること。交渉で絶対に避けねばならないのは、戦術に走りすぎ、部分的勝利に目がくらんで、結局勝負に負けることである。それを避けるためにも、しっかりした交渉方針や原則がなければならない。

ただし、融通性のないワンパターンの方針や原則では困る。各交渉ケースごとに明快で、ある程度具体的な目標を立てるのがいい。

前項に関連して、第二に、本末転倒をしないこと。交渉では絶えず形勢判断する必要がある。大勢で勝っていたら、細かい点は相手に譲る。譲れない点はどこまでも突っ張る。そういった対応が求められる。

第三に、交渉の相手には、できる限り責任者、意思決定権者を選ぶべきだ。交渉の能率が違うし、そうでないと成果も上がらない。

第四に、バーゲニングと呼ばれる一連の交渉技術がある。変革期を乗り切るのに、それらは不可欠の武器となる。

バーゲニングには、つぎのようなものがある。泣き落とし、交換条件の提示、脅し、飛び越し、白紙委任、妥協、引き延ばし、預り、タナ上げ、保留など。乱用してはならないが、こうした政治的手法にもひととおり通じておきたい。

第五に、変革期は社内下剋上、社内起業家の時代である。さて、その流れに乗り、劉備が「虚なる器」であったというのもすべては鞘晦で、彼は一生自分の役回りを心得、ひそかに楽しみながらパフォーマンスしていたようにさえ思えるって頭角を現わすためには、どうしても鞘晦術を身につけねばならない。本心を剥き出しにせず、とぼけながら力を蓄え、準備する。必要なときにここぞとパワーを爆発させる。こういう要領である。

鞘晦術は交渉に勝つための最強のノウハウだ。真意を現わさない。とっておきの交渉材料を隠しておく。相手を油断させる。準備が整うまで時間かせぎをする。
相手の出方を読み切ったうえで勝負に出る。このようにすればまずたいていは勝てるはずだ。
状況が自分に不利な場面では、なおさら報晦術が必要なことはいうまでもない。

劉備は、鞘晦術の名手だった。野心をおき忘れたような顔をして、帽子を編んだり、百姓のまねごとをしていたこともある。それによって劉備は、あの恐るべき人間通・曹操の眼さえみごとに欺き、虎口を脱しているのである。


孔明のテクニック
交渉力、説得力のノウハウが、「三国志」のドラマの中には、いろいろな形で述べられている。相手の心理をつかむ方法や、駆け引きのポイントを学ぶうえでの最適なテキストといえる。

その道の達人は、やはり諸葛孔明である。
孔明はあらゆる能力に秀でたスーパーマンだが、彼から受けるもっとも強い印象は、たんなる戦略家、参謀の域を超えた思想家であるということだ。思想をもった戦略家といいかえてもいい。だから彼の発言は、ときとして生き方を問いかける深遠なものであったりする。

そして、その思想が、交渉の場においての心理作戦の基になるし、たぐいまれな説得力となって発揮される。

たとえば、交渉の相手をものすごく怒らせるような表現を意識的に使うとか、相手の精神を動揺させて、相手の急所を冷静に突くといった論法となって表われ、三国抗争において常に焦点となったのが荊州問題である。荊州はいわば中国のへそといった位置にあり、魏・呉・蜀三国の必争点であった。

たとえば魏は、何度となく荊州攻略を試みてきた。もし征圧できれば、そこを足がかりに全土を統一する展望が開けるだろう。

一方、呉にとっては、東の要害、長江(揚子江)と並んで、西北の荊州地方は強敵魏に絶対に渡せない戦略的要地である。また逆に荊州を押さえることができれば、呉が中原に兵を進めることも容易になる。

それぞれの思惑を秘めて、荊州争奪戦が繰り広げられる。太守劉表亡き後、まず荊州を奪うのは魏。しかし、魏は、赤壁の戦いに大敗した後、余勢をかって攻めたてる呉軍に打ち破られ、荊州の地を棄てて逃げる。
ところが、これを劉備の蜀がほとんどだましうちのようにして呉から奪ってしまった。もちろん、この主謀者は孔明である。

孔明の計画とは、まさに「漁夫の利」を狙ったもので、呉が油断しているスキに奪ってしまったのだ。
呉の軍勢がかけつけたときには、すでに関羽が率いる蜀軍が荊州の城を横取りした後だった。

呉はこれに対し、赤壁の戦いおよび荊州の戦いで、劉備たちが勝利にあずかれたのは呉の軍勢があったからであり、それを考えれば荊州はお礼として呉に返却すべきだといってきたのである。それにもともと荊州は我が国のそばにあるのだ、ともいう。この交渉での孔明のごまかし方がまた実にずるい。

呉の魯粛という本質的に純情な男を、簡単に丸め込んでしまう。
ここで諸葛孔明が使った論法は、建前論、正統論である。

つまり、さかのぼれば荊州は漢のものだ、だから呉ではなく、漢の正統な王室の後継者つまり劉備が継ぐべきものである、と主張したわけだ。もう一つは、荊州はもともとは劉表という、やせてもかれても劉一門の一人が治めていた土地である。だから、劉表と兄弟のようにしていたわれわれに後継者としての権利があるという論法である。

さらにダメ押しとして、劉埼(劉表の子息)に譲るなら呉も異存はない、という確約をとることに成功する。そうしたうえで隠していた劉埼を登場させて相手を絶句させてしまうのだ。

つまり、交渉にあたって隠し玉をもっている。そして相手の言質をとってからスッと登場させる。交渉のやり方としては実にうまい。

最後の駆け引き材料(切り礼)を隠しておいて、ここぞというときに出す、という戦法である。